
心理カウンセラー:
コッシー(こし石 イサオ)
1977年7月生まれ 千葉県出身
【資格】
・MMS認定 心理カウンセラー ベーシック #MMS-10019
・MMS認定 コミュニケーションデザイナー #MMS-10080
【過去の職歴】
・ITエンジニア(20年超)
【プロフィール】
▼自分で決められなかった 束縛と違和感の日々

私は、強い信仰心を持つ母親のもとで生まれ育ちました。
家庭内では母の言うことがすべて正しいとされ、束縛の強い生活の中で、私は何か母の気に障ることをするたびに叩かれることも度々ありました。
そんな母親の顔色や評価に常に左右され、“自分で何かを決めることができない”。
この時からすでに、普通の人ならできるはずの“自分で何か物事を決める” そのことがなかなか身に付けられなかった子供時代でした。
一つ一つのことが、
「これでいいのか?合っているのか?」
迷う日々。
だから、他人すぐ判断をゆだねてしまう。
そして、なにか問題がおこった時、火の粉は否応なく自分に降りかかる理不尽さ。
いつも主導権は自分にはなかった。
また、そんな違和感を周囲の人に本音を話せないそんな日々。
普通に関わる友達はいましたが、人からどう思われるのかが気になってなかなか心を許せる親友を作ることが難しかったこともを覚えています。
「こんな家、早く出たい」
成長するにつれて、いつしか自分の心にはそんな気持ちが芽生えていました。
そして、私は学生の期間を終えて社会に飛び立つ日を迎えました。
▼人生の荒波の前の穏やかな一時期 初めての就職と自由

私が就職する少し前、世間ではMicrosoft Windows 95そして98が日本国内でブームを引き起こし、家庭用パソコンが全国で普及しはじめました。
私はというと、まさにその流れに乗って専門学校でシステム設計・開発のスキルを身に付けた後、そのまま新卒で外資系のIT企業に就職を果たしたのが20代初頭。
引き続きある程度の期間、親とは同居していましたが、その後は一人立ちして新たな生活、自由になるお金と時間。
そしてこれから起こる人生の荒波を知らずに、私は穏やかな一時期を謳歌していました。
もちろん、仕事は大変でした。深夜に及ぶ残業や徹夜や、休日出勤したり、出来上がったシステムを納入するために遠方のお客様拠点まで出張することも幾度も経験しました。
その頃は、元気も希望もあり「この業界、こんなものか…」と考えていました。
▼人に気持ちを聴いてもらうことの大切さを知った はじめての失恋

同期入社の新卒の中に、目が大きくてとてもすてきな、小動物のような女性がいました。
同期のメンバーで飲みに行ったり遊びに行ったりする中で、私は彼女とよく話をするようになり、いつしか彼女に淡い思いを抱くようになっていました。
「想いを伝えよう」
そう考えて声をかけた。
その返事は、
「うれしいんだけど、今付き合っている人がいるから」
初めて人を好きになり、勝手も分からず玉砕した瞬間でした。
傍からしたらベタな“あるある”ですね(笑)。
その夜、
私は当時行きつけていたショットバーで涙に濡れながらショットグラスをかたむけました。
バーのマスターや常連さんたちが話を聴いてくれ、大いに話題が脱線しつつも気遣い、慰めてくれました。
いつの間にか失恋の痛みは少し和らぎ、
「他の人に気持ちを聴いてもらうくらいのことで、こうやって気持ちをリセットできるのだな」
「話をすることで、自分の考えや思いを整理するって大切なことなんだな」
と、ひしひしと実感した晩のできごとでした。
▼自分で決める怖さ 過労・ストレスとのたたかい

紆余曲折あり、新卒で入社した企業から別の企業へ転職しつつも、私は引き続きITエンジニアとしての職務を全うする日々が続いていました。
そんな中、私が配属された開発チームは、
タイトな期限
少ない予算
連日連夜の深夜残業
毎週のように続く休日出勤
etc…
と過重労働が慢性化する現場。
上司に言われるがままの長時間勤務が続く中で次第に迷いが生じ、
「この職場に居続けられるのが普通なのではないか?自分は一時的にここから逃げたいだけなのではないか?」
という思いと、
反対に自分の身体を壊す危険性への自覚が交互に襲ってくるようになりました。
「この状況は誰かに相談をして変えるべきか?それとも、今は耐えるべきのか?」
この時はそれすら自分で決められず、自分で決めてしまうことが怖いとすら感じ、ただただ体力も気力も失われていく状況でした。
そうした環境で一度ひいたかぜがなかなか治らず、さらに中耳炎にもなってしまいました。
症状を相談した同僚に提案され、時間をとって行った病院での診察は「過労とストレスによる身体症状」とのこと。
医者からの勧めでその事実を職場の上司に伝え、現状のつらさを訴えた結果、その現場からの異動が決まりました。
▼呼吸が詰まるような苦しさの中で はじめての発症

しかし、
その次の勤務場所。
その客先の事業所は自宅からとても遠く、さらに開始時間も今までよりさらに1時間近く早く始まる職場でした。
新たなその職場は上司一人、部下(私)一人のチーム。
そこの上司は私にとってかつてなく厳しく、私に課された業務量はかつてなく多くまた困難な内容でした。
かと言って、他の誰かに分担をお願いすることもほとんど叶いません。
再度の配置異動を相談するなどという決断、それすらもはや自分の中にありませんでした。
この職場での業務を続ける元気もなく、退職願いをしたためる勇気も出ず、連日の残業と業務の未達成を嘆く日々が続くこと数か月。
自分自身の身の振り方について、今回も、やはり、自分で決めることができず、悶々としたまま、体力と気力を削り取られて行く日々でした。
そして…
ある日、出勤途中の電車。
乗り換えてこの路線に乗ったら職場という車両の中で、頭の中が冷たくなり、突然“もや”がかかったように手足の動かし方が分からなくなる感触。
と同時に、喉の奥から熱いものが込み上げてくるのを感じました。
その場はどうにか持ちこたえ、
次の駅で飛び降りて職場へ体調不良による休暇の連絡を入れる。
その日は一旦、難を逃れたものの、
次の日から度々、その路線のホームに立つたびに足がすくみ、喉の奥が熱くなり、呼吸が詰まるような感覚に襲われるようになったのです。
▼「うつ病」の回復に努める中 “薬”になったモノとは

繰り返しあらわれるそんな症状について、会社の総務担当者に相談したところ、メンタルクリニックの受診を勧められました。
受診の結果は察していたとおり「うつ病」さらに「パニック障害」というもの。
あとからあらためて別の医師に相談したところ、この頃から「適応障害」も発症していたのだそうです。
その場で診断書を発行してもらい、6か月間の休職期間に入りました。
休職期間中、所属会社の産業医によるカウンセリングを受けること数度。
一時的に気分が良くなることはありましたが、それは継続せず。
あとから調べたらそれもそのはず。
産業医というのは、患者を経過観察して会社へ報告し、復職タイミングを計るのが主な役割ですからね。
発症した当人の症状を積極的に治療するというのは二の次という訳です。
私にとって産業医よりも気持ちを和らげる助けとなったのは、この時も馴染みの居酒屋やスナックといった社交場でした。
疲れた客、元気な客、暖かい店主・従業員たちとの何気ない会話が、そして沈んだ気持ちをさり気なく暖めてくれるその場の空気が、当時の私にとって一番の薬となったことは間違いありません。
そうそう、
実際のところはこの時、医師からは飲酒を減らすように勧められていたのでした。
なのでこの話はここだけのヒミツにしましょう。
そうして嵐のあとの荒れ野原のように穏やかに過ごしつつ、私は復職の時を迎えました。
▼面白がってやれ! 技術はないけど他人の話を聴いたこと

その後も仕事がらいくつかの開発プロジェクトに関わり、仕事終わりには夕食がてら飲んで帰るという生活が続いていました。
そんなある夜。当時なじみの居酒屋で隣に座ったのは一人のアマチュアボクサーの方。
ふとした接触をきっかけに会話が始まりました。
ボクシングに対する熱い熱い想い。
反してあきらめた夢。
本職の造園業での苦労話。
気付けばかれこれ2時間以上、私はその方の話に耳を傾け話し相手をしていたのでした。
当時の私は「傾聴」「共感」などという単語を知るはずもなく、しかしだたひたすら面白がって話を聴いていた、それだけでした。
後日、同じ店で彼と再会しました。
あの日、私が話を聴いてくれたことにとても感激したとのことでした。
感謝の言葉と共に私にプレゼントとして手渡してくれたのは…
そう。“ボクシンググローブ”
彼が以前に練習用に使っていたものだそうで。
その気持ち、確かに受け取りました。
かつて自分が傷ついた時に、酒の場で誰かに話を聴いてもらって心の痛みを和らげた。
今回はその逆で、自分が人の話を聴いて感謝された。
「そんなこともあるのか」
と感心した夜のことでした。
▼決めることが怖いのはいつから? 二度目の発症

さらに転々と求められる開発プロジェクト現場に参加することが続き…
ある開発現場でチームリーダーを任された時のこと。
当初はチームメンバーへの業務の采配、受け入れ、承認、スケジュールの管理などは自身の所掌でした。
しかし、途中でそのプロジェクト管理者が変わり、
新たに着任した管理者は圧迫感がある人物でした。
彼は、微細な点に及んで私のチームに対する判断に干渉してきました。
そして、彼に認められる報告を行うべく私の業務量は次第に増加。
その報告資料に対するダメ出しがさらに積み重なり…
当初、私の所掌であったチームの管理業務についても、上長であるそのプロジェクト管理者は事細かに干渉してきました。
私にとって、それは“恐怖政治”と呼びたくなるものでした。
私は、私が決めたことを次々に覆され、もはや自分でこのチームの管理すべき内容について決めるべき事項について決断を下すことが次第に怖く感じるようになっていきました。
この感覚について、ふとよぎった思いがありました。
「自分で自分のことを決めることが怖いというこの気持ち、いつからこうだったのだろう。もうずいぶんと前からの気がするな…」
その時、その問いの答えはすぐに出ませんでした。
そんな状況下、私は次第に身体の不調を感じるようになりました。
強いめまい。続いて身体に覚えのある、あの喉の奥の燃えるような熱い感覚。
気後れしながらも、はじめて発症した時と同じメンタルクリニックをこの度も受診して「うつ病」の診断を受け、自社の上司に出来事をありのままに伝えました。
そして、その時期からあらためて6か月間の休職に入る流れになりました。
なすべき仕事を途中で放り出した奴、との印象はいまだに誰かが覚えているかも知れません。
▼決めることの怖さと自分の価値に悩む 三度目の休職

人生二度目の復職後、上司との相談の上で別の客先のシステム保守チームにチームメンバーとして参画することになりました。
しかしその現場は「不機嫌な上司」「頻繁な暴言交じりの檄(げき)」が横行する現場でした。
私の担当業務も頻繁に差し変わり、慣れない作業内容に右往左往。
自分の作業内容を自分で決めて進めようとするたびに入る横やり、ダメ出し。
そうであればと、上司や周囲の同僚に案を持って聞いて回れば、「そういうことは自分で決めて自分で進めろ」と突き返される。
そしてよくよく時が過ぎて見てみると、自分の判断があながち間違っていなかったという結果。
このように上司の発言、同僚の発言に振り回され続け…
この度も、“周囲の評価が怖くて、自分で決めることが怖い” そんな以前の自分が首をもたげてきたのを感じました。
その現場でも、
半年と持つことなく過去と同様の「うつ病」症状を発症して、三度目、3か月間の休職に。
この休職の期間は、単に「うつ病」の症状をいやすに留まらず、
自分の中でたびたび生じる
“威圧的な周囲の人々に対峙すると、自分で自分のことすら決めることが怖く感じる自分”
についても考えさせられる時間となりました。
加えて、以前よりも悩むことも増えました。
「自分の社会的な価値は何か」
「なすべき役割は何か」
「自分は今後どうしたいのか」
しかし、
これだ!という明確な答えを得られないまま三度目の復職を迎えるに至りました。
▼自分が楽になれる生き方探し そしてIT業界を離職

鬱々とした気持ちを引きずりながら三度目に復職し、配属された先は先とは別のシステム保守チームでした。
ここはリーダーもメンバーも比較的落ち着いた方が多く、継続的に大きなトラブルに巻き込まれることもない、そんな穏やかな職場。
体調と心の状態も、いくらか平常に戻ってきたところではありました。
もう少し頑張れば、まだそこに居続けられたかもしれない。
そのように、今、あらためて考えないこともない。
それでも当時、私はずっと心に引っかかっていた自分の「価値」「役割」「やりたいこと」を明確に思い描けずにモヤモヤしていました。
そのモヤモヤを手探りしているうちに思いついたのは、
「今の“ITエンジニアとしての自分”の良いところ悪いところを見直して、自分が楽になれる生き方を探してみよう」
ということ。
「ITエンジニアという人生の他に、自分には何かないか?」
そんなことを考え始めたのもちょうどその頃でした。
定期面談のタイミングで自社の上司に現在思い悩んでいることを相談しました。
紆余曲折を経て、退職を決断したのがその数か月後。
ここからの日々は先のような休職期間とは違い、自宅にいても何かと様々な出来事にアンテナの感度を高めて生活する日々となりました。
何かが、自分の「価値」「役割」「やりたいこと」につながることを意識しながら。
▼話を聴くのが上手と言われた私 そして見つけた「役割」

様々な出来事にアンテナの感度を高めて自分の今後を模索しつつも、不思議と焦りはさほど感じていませんでした。
むしろ、この頃にあらためて自分と向き合いかたを見直して自分のできることに思いや目を向ける良い時間となりました。
結果的にこの期間で私は自分の心の「うつ病」状態を幾分改善させることができたように感じています。
そしてその頃には、
以前、初対面のアマチュアボクサーの話し相手となり喜ばれたこと。
それよりも以前には、私が馴染みの人たちに自分の話を聴いてもらい気持ちを整える助けになったこと。
こうした思い出が浮かんでは消え、消えては浮かび、これが何か一つの形となって具体的な活動につなげられないかと頭を巡らせるようになりました。
そんな日々を送る中で、
なじみのスナックで一人飲んでいたある日、その店の雇われママさんとのふとした会話から、彼女の現状、特定の困った客との対人関係の悩み、家族に関する悩みなどいろいろな話を聴くことになりました。
普段あまり見せないその方のそうした側面をじっくり聴き、丁寧に相づちをうつ。
2時間半が経過したころには、ママさんの表情も始めよりもとても落ち着いてきました。
その時の彼女の感謝の言葉、全体的にはあまり覚えていませんが、こんな言葉は覚えています。
「あなた、話を聴くのが上手ね。カウンセラーとか向いているんじゃない?」
そうか!
「心の悩みを抱えている人に寄り添う」には、
“心理カウンセラー”という職業があるな…
▼涙が出るほど自分に向き合った 心理カウンセリングの探求

「では“心理カウンセラー”というのはどんなことをするのか?どうやったらなれるのか?」
疑問符は尽きない中でしたが、自分なりに調べ始めることにしました。
その中で、オンラインやリアルの会場で開催されている様々なセミナーや勉強会に参加してみたりもしました。
まずは、自分に向き合うこと。
“威圧的な周囲の人々に対峙すると、自分で自分のことすら決めることが怖く感じる自分”
この気持ちの根底には、
子どもの頃の、母親の顔色や評価に常に左右され、“自分で何かを決めることができない” 自分がいたのか。
そのことを知った時、自身の視界が開き始めました。
なるほど。
かつて様々な場面において、自分でその場の自分がなすべきこと/やりたいことを主体的に決められていただろうか?
否、幼い頃は母親の言うなりであった。
否、社会人になってから生じた様々なつらい状況では職場の上司や雰囲気に完全に呑まれており、自分のタイミングで判断して状況を変えるということができていなかった。
今の自分が特定の状況で「うつ」「パニック」の症状を発症するのも、そうした自身の“過去の自分”が関係していたワケかと。
そこからさらに、そうした“過去の自分”を手放した自分の未来の姿を思い描く。
「こんな未来に立てたらいいな」
そのイメージを描き始めて、すっきりした気分と共に、なぜだか涙が。
イメージした未来に立つためには、今ここからどのように行動していこうか。
それは、
かつて職場の人間関係に、業務のストレスの重さに、癒えない疲労感に心をすり減らし、限界を感じていた頃の自分。
明日の出勤がつらくて、でも仕事を辞めるという決心もなかなかつかないままうつうつとした夜を過ごした自分。
そうした過去の自分に“さよなら”して、あらたな自分の道筋を見つけたのはこの時でした。
できるなら、
「同じような思い、悩みを抱えて気持ちが沈み込んでいる誰かを支えたい」
そんな気持ちが次第に芽生えてきました。
▼そして現在 あなたの前に

「自分が話を聴くことで誰かの助けになれる・救われる人がいる」
「それならば、そのような役割を引き受ける職業に就くことを目指すのもすてきな生き方だ」
そんな思いで始めた、社会的にもこの貴重な役目。
今は、自分でなろうと決めたこの“心理カウンセリング”という職業にプライドをもって臨む、
そんな日々を送っています。
強い想いを胸に研鑽を積み、
その職業の名に恥じないよう資格取得にも挑み、
そして今、あなたにこうして語りかけています。
私は、あなたの“心理カウンセラー”
そして、心を癒したあなたの、その先の “メンタル維持の伴走者”
そうやって、あなたの役に立ちたいと思っています。
“働くあなたのためのメンタル再始動カウンセリング” を通して、
「自分で決められる心」を取り戻して、仕事もプライベートも充実させませんか?
まずは、
あなたのお話、じっくり聴かせてください。
